• 01/31/2026

静かな森と都市の明かり・・・ グローバルな政治経済秩序を考える

新しい平和と繁栄の条件。国境を超えて、市民にふさわしい秩序を築く。  グローバルな政治と経済のダイナミズム、国際政治経済学を学ぶ人のために。

最終講義1 国際政治経済学再考

最終講義「私のIPE」を、ホワイトボードに描いた時間軸で話し始めました。

1959年に私は大阪で生まれました。それは、『ブレグジット×トランプの時代』にも書いたように、キューバ革命の年です。
冷戦の時代、初めて旅した外国は軍事独裁体制下の韓国でした。卒業旅行で旅したヨーロッパには「ベルリンの壁」がありました。
1979年に、私は一浪して同志社大学に入りました。非常勤で教えておられた本山美彦先生、永田啓恭先生、中川スミ先生にお世話になりました。
当時の分類で、マルクス経済学を学んだわけです。

大学の新入生歓迎行事に、自治会が壇上から学生自治への参加をアピールし、サークルからも勧誘する機会がありました。
私は「経済研究会」という、あまり経済とは関係ない小さなサークルの代表で、近代啓蒙思想やマルクス主義者たちの勉強会を、同学年の友人と、下の学年3人を加えて、細々と楽しんでいました。

自治会とクラブ、サークルをまとめる学生組織は「学友会」と呼ばれ、新左翼の信念と風習?を継承する者たちが担っていました。
彼らは(ほとんど男子学生でした)、「中核」や「革マル」ではなく、「ヨヨギ(共産党系)」でもない、それらの浸透を排除する、ガラパゴス系!のマルクス主義者たちでした。
その幹部たちが、私のサークル紹介を嫌い、学生会館2階の本部において、激しい恫喝を浴びせました。
学友会委員長の某氏がラーメンを食べながら恫喝に加わり、汁と麺が私の体に飛び散りました。部屋の奥には、佐藤優氏が黙して座っていたことを覚えています。

新左翼の風習(一部は暴力の賛美)を私は拒否しましたが、某氏を含めて、彼らを憎んではいませんでした。
私はマルクス主義者であったとは思いませんが、その革命思想と社会運動、人類の解放をめざす左派の思想家たちを尊敬していました。

その後、私が教授の職を得た頃、経済学部自治会は担い手を失って消滅し、学生たちの叛乱はもはやどこにもありません。
スマホの漫画、ゲーム、ポルノに、学生たちの思考が侵食されるのを、学友会の執行部なら、激しく抗議したかもしれません。
佐藤氏はロシア語が堪能で、外務省において活躍し、その経緯を知りませんが、日本政府の方針に外れたため投獄されました。
氏は、逆境に屈っすることなく、作家として成功し、今、ロシアや国際政治を観察する異色のジャーナリストです。

1983年、鴨川を越えて、私は京都大学大学院に進学し、本山先生に師事しました。
1985年、W. アーサー・ルイスの研究で修士論文を書きます。ルイスは、カリブ海出身のイギリスの経済学者で、1979年にノーベル経済学賞を受賞しました。
今考えると、私はずっとルイスから学び、その教えに導かれてきたのです。
ルイスは、マルクス主義とは異なり、フェビアン協会の社会主義者であったと思います。
本山先生は、ルイスの開発論(二重経済と労働力移動)が、当時の不平等交換論を明確に理解するカギである、と私に勧めてくださいました。

1988年、地方の国立大学(愛媛大学)に講師のポストを得て、開発経済論を教えました。
1994年、出身大学にもどり、国際経済学、今の国際政治経済学(IPE)を教え始めました。
他大学では非常勤講師として、国際関係論、国際金融論、現代資本主義論、比較経済論を教えました。

By onozn

大学で30年教えたあと、2025年春に定年退職しました。社会とのかかわりを模索中です。できることなら多くの街で仕事を経験したい。 「IPEの果樹園」を継続し、世界の政治経済に生じる変化を追いながら、本当に好ましい生活と社会の在り方を探そうと思います。

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