• 01/31/2026

静かな森と都市の明かり・・・ グローバルな政治経済秩序を考える

新しい平和と繁栄の条件。国境を超えて、市民にふさわしい秩序を築く。  グローバルな政治と経済のダイナミズム、国際政治経済学を学ぶ人のために。

賢治の町、花巻探訪(1)

Byonozn

5月 24, 2025 #地方

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ(怒る:いからず)
イツモシヅカニワラッテヰル

青空文庫
新校本宮澤賢治全集第13卷上

宮澤賢治を読んで、好きになる人は、この詩を決して忘れないでしょう。
それは、自分が生きるための道標か、あるいは、心のリズムのような、大切な言葉となって残るのです。

花巻訪問は、連休前から予約していたのですが、直前に風邪をひいてしまい、迷いました。
予報ではよい天気です。行こう、と決めました。
えきネットを使うのは初めてで、すこし心配でした。
8時発の東北新幹線に乗るため、7時過ぎに下宿を出て、仙台駅をめざして歩きました。

行く前にグーグル・マップを観ると、宮沢賢治記念館、童話村、イートハーブ館が集まって、新花巻駅から徒歩圏内にあります。
ふつうはバスに乗っていくのかもしれませんが、歩いても大丈夫だろう、と思いました。

東北に魅力を感じたのは、ひとつには、宮沢賢治の作品と解説を、偶然、聴いたからです。
どういう風土が宮沢賢治を生んだのか。
花巻に行ってみたい、と思いました。
日帰りではなく、花巻の景観や自然の中で、私は朝や夜の時間を楽しみにして宿を予約しました。

というか、安価に泊まれる宿はないかな、と探して、まさに1軒、「ケンジの宿」を見つけたため、1泊2日に決めたわけです。

ケンジの宿は気に入りました。
パソコンを打ちたいと思い、テーブルのあるダブルルームにしました。それでも素泊まり3500円です。
共同のトイレも清潔で、お風呂のお湯にもたっぷりつかりました。
もちろん、ホテルと違って、隣にうるさい客が入ったり、酔っぱらって騒ぐ団体がいると、民宿の限界があるかもしれません。

泊り客は自動車の人がほとんどでしょう。
宿の主人が部屋と風呂、トイレ、お茶の支度について説明してくれた後、私は日が暮れる前に、教えてもらったコンビニに行きました。
夕食と朝食は、ほぼ同じ距離にあるローソンかファミリーマートで弁当を買ってきます。

1日目の天気がとてもよかったので、せっかく泊まるのだから遠くに行こう、と、釜渕の滝をめざしました。
滝の入り口まで行けるバスが花巻駅から出ています。

失敗した、と思うのは、ケンジの宿から(旧)花巻駅まで歩いたことです。
新花巻駅からケンジの宿は10分ほどで着き、さらに15分か20分歩くと、記念館、童話村があります。

しかし、記念館から花巻駅までが、思った以上に遠かったのです。
1時間以上、自動車道路の横の歩道を歩きました。花巻市街に入るまで、特に寄り道するところはなかったです。
橋を渡って、まだ遠い。しかも、気温は29度を超えました。
パソコンに加えて、用心して温かい服やパジャマを詰め込んだ重いリュックを背負い、汗だくになりました。(ケンジの宿に、パジャマ、髭剃りと歯ブラシのセット、ありました。)

ようやく市街地に入り、園城寺の大門、鳥谷崎神社などに寄りました。
暑くて、公園のかどのあずまや?でぐったりしていると、
保育園の保母さんたちが、緑のうつくしい公園を、幼児の乗った手押し車をともない、元気な子どもたちを連れてゆっくり進むのを観ました。
童話の世界のようにみえました。

わたしは駅前のバス停で、花巻温泉行きのバスを待ちました。
近年、どの自治体も観光に力を入れているせいか、駅前のバス停はきれいに整備されています。
バスが時間通りに来るのか、少し不安もあって、コンビニで買った菓子パン2個を食べながらベンチで待ちました。

乗ったバスは市街地を離れて、田んぼや畑を通りぬけ、山に入りました。
しかし、想ったほど、景観が心にしみることはありませんでした。
あるいは、田植えが始まっていたら、また感動したのかもしれません。

たぶん、『となりのトトロ』で都会から田舎に引っ越してきたトラックがたどる情景を期待していたわけです。
花巻も現代の地方都市でした。

釜渕の滝で最大のピンチ!に陥りました。

バスの帰りがかなり急がないと間に合わないのです。注意を要します。
  花巻駅 12:03 ⇒ 釜渕の滝入口 12:25
同じバスが、12:43にもどってくるので、わずか18分しかありません。
その次のバスは、2時間後の14:43でした。

運転手さんと、滝は遠いですか、帰りに乗りたいです、と話し合いました。乗客は私だけです。
車道から降りて少し歩く、と説明してくれました。
だいじょうぶ、とは言いませんでしたね。後から思い出してみると。

愚かにも、わたしは道の先に降り口がある、と誤解していました。
間違いと気づいて、バス停に戻り、さらに進んで、滝の入り口の表示を見つけました。
時間のロスです。
背中のリュックを押さえて、ゆるやかに降りる階段を走りました。

緑の小径を抜けて、せせらぎの向こうに、二人の旅行者がいるのに気付きました。そして、滝が見えました。
ん~ これはいいな。
かがやく、ゆたかな水が広がって、流れ落ちていました。

賢治の童話に出てくるそうですが、まだ読んだわけではありません。
これからの楽しみです。

二人は滝の向こうに続くみちを歩いて去りました。散策路が続くのです。
しかし私は、あわてて数枚の写真を撮り、とんぼ返りです。
もう時間がありません。
バス道に向けて階段を駆けあがりながら、バスが走るのを見ました。
大きく手を振って駆けあがると、少し先で、通り過ぎたバスが停車してくれたことに気がつきました。

花巻駅で降りずに、終点、宮沢賢治の詩碑まで行きました。高村光太郎が揮毫した、有名な、そして、思った以上に巨大な詩碑です。
なにか大きすぎる、と思いましたが、死後、文壇や時代が、この巨大な碑を彼に授けたのでしょう。

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その場所に、かつて賢治が農民たちに化学・土壌の講義をした「羅須地人協会」が立っていたそうです。
すこし高い土地から、眼前に広がる田や畑、そして遠くの山並みがみえました。ここが、賢治の見た風景である、と立札に解説してあります。
彼の耕した土地が、この下にあったわけです。

わたしはひとりで、その景色や風を楽しみました。

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

二人の旅行者が、私の去る道ですれちがいました。しずかに、あいさつしました。詩碑のそばには桜・地人館があります。
病床の賢治を診た医師のお宅で、のちに高村光太郎も住んだそうです。
詩碑建立の式が粗いビデオで再生してありました。

おそらく連休の過ぎた平日に、訪れる人はいなかったようで、館内は照明も消してありました。そおっと扉をあけました。
一人のスタッフが建物や高村光太郎など、この土地の文人たちのことを話してくれました。なにも知らない私に、静かに教えてくれたのがうれしかったです。
展示室のビデオをスタートして、彼女は事務室にもどっていきました。

退館するとき、地図で彼女が教えてくれた、イギリス海岸を経て、羅須地人協会をめざす道に向かいました。

By onozn

大学で30年教えたあと、2025年春に定年退職しました。社会とのかかわりを模索中です。できることなら多くの街で仕事を経験したい。 「IPEの果樹園」を継続し、世界の政治経済に生じる変化を追いながら、本当に好ましい生活と社会の在り方を探そうと思います。

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