冷戦が核戦争を回避したまま終結したとき、政治が生活改善に向けた穏健な合意を形成する各地の市民集会に解消され、よい社会と世界平和への転換点になりえたかもしれません。
しかし、そうならなかったのは、グローバリゼーションやインターネットのもたらす構造変化を、新しい社会制度が制御し、受容する能力を獲得できなかったからではないか、と思いました。
9・11テロに対するアメリカの軍事介入は、《民主化》と体制転換 Regime Change 、国家建設 Nation Building を唱え、各地で暴力の土壌を耕しました。
富と権力の極端な不平等、さまざまな抑圧と差別をそのままにして、民衆の意志を反映する市民的な政治秩序は移植できない、と知るべきでした。
豊かさがすべての答えだ、と達観することは間違いです。
異なる経済体制が競い合って、人々の暮らしを豊かにし、理想的な社会状態が市場の拡大を通じて世界に及ぶだろうと期待する時期がありました。
しかし1989年にベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が解体したことで、欧米の思想から「社会主義」という理想が失われ、
資本市場と「富への強欲」が支配する時代になりました。
かつて「自由化」、市場原理に従う政策だけが重視され、株主価値を高めることで、資本主義のもたらす富が社会の底辺にまで豊かさをもたらす、と信じたのは、なぜだったのか?
今や、世界政治の支配者たちの間でも、ネオリベラリズムが影響力を失っています。
ワシントン・コンセンサスは冷戦終結と同じ年に提案されました*1。
それは、左派政権を含めて、ラテンアメリカ諸国がそれまでの反米とポピュリスト的な経済運営を改め、マクロ経済政策による安定化を優先するようになったことを意味した言葉でした。
しかし、その後、ワシントンDCで隣接するアメリカ政府・財務省、IMF、世界銀行が、1980年代の債務危機に苦しむ発展途上諸国に、市場自由化と緊縮財政を強制し、人民を苦しめて国際資本の利益を優先する政策を押しつけるイデオロギーや政治介入、という意味で使われるようになりました。
まず、オリジナルな意味を考えます。
ラテンアメリカが1980年代の債務危機によって「失われた10年」を経験した後、IIE(国際経済研究所、今は、PIIE)のジョン・ウィリアムソンは、マクロ経済政策の収斂が定着することを願って、その教訓を10か条にまとめました。
● 財政赤字の縮小(財政赤字がもたらすインフレの抑制)
● 補助金カットなど政府支出の削減(教育・保険・インフラ投資)
● 税制改革(中央銀行や外部資金への依存をやめる)
● 金利自由化(金融抑圧を止めて市場に委ねる)
● 競争力ある為替レート(輸出型成長)
● 貿易自由化(内外の競争促進)
● 直接投資の受け入れ(資本自由化ではなく)
● 国営・公営企業の民営化(競争市場を重視)
● 規制緩和(市場参入による改革)
● 所有権の確立(政権による安易な国有化を否定し、投資を促す)
ワシントン・コンセンサスは、マーガレット・サッチャーの市場自由化、サッチャリズム(+規制緩和+民営化)、そして金融ビッグ・バンの新自由主義(ネオリベラリズム)と同一視されることもあります。
しかし、サッチャー支持者たちの金融市場崇拝とは異なり、ウィリアムソンは資本取引の自由化が金融危機を招くことを重視し、提案から外しました。
資本移動の自由化推進は、1994年のメキシコ・ペソ危機、特に2007-08年、欧米から始まった世界金融危機によって、国際秩序の目標から外されました。
それは、2001年の9・11同時多発テロを正当化したイスラム原理主義(ファンダメンタリズム)との対比で、市場原理主義ともよばれました。
ロンドン・コンセンサス*2 の編者 Tim Besley らが指摘するのは、当時、経済成長に関する十分な理解が欠けていたことです。
彼らは、その後のノーベル経済学賞受賞者の研究などを紹介して、イノベーションの重要性と、革新をもたらすエコシステムの育成に果たす国家の積極的な役割を主張します。
今、新しいコンセンサスを提唱することは、市場の効率性だけではない、政治経済学を復活させるアピールでもあります。
● イノベーションによる成長とレジリエンスこそが重要だ。
● それを促す有能な国家と政治の役割を強調する。
● 法律・社会制度の改革をふくむ市場の制度設計。
● 分配問題の考察が、経済のためにも、政治のためにも、必要だ。
● 富とパワーの再分配政策に必要な新しい手法を導入する。
● 社会的地位、尊敬、尊厳の、富裕層による独占を打破し再分配する。
● 地域、コミュニティは独自の価値を持つ。
● 労働者のために、革新にともなう移行を支援し、良い仕事を供給する。
● それぞれの社会が独自の解決策を必要とする。
● アイデンティティや尊厳が重要だ。政治はその共感の範囲を拡大する。
こうした視点を欠いたことが、自由貿易やリベラルな民主社会への反発、左右のポピュリズム、ドナルド・トランプの秩序破壊をもたらす条件になりました。
ロンドン・コンセンサスは、「ボラティリティ」(市場の激しい変動)と「レジリエンス」という形で、ワシントン・コンセンサスの「マクロ経済安定化」を発展させ、市場経済をめぐる国家の役割、民主政治の重要性を、政治=経済学の議論に取り戻そうとしています。
良い統治なしに成長しないが、成長なしには民主主義が機能しない。
バーグステンが動画①で振り返ったように、ワシントン・コンセンサスはグローバリゼーションの支配的イデオロギーとしてスティグリッツに批判されました。
ウィリアムソンは公開で討論することを提案しましたが、スティグリッツ*3 は「ワシントン・コンセンサス」のイデオロギーとジョン・ウィリアムソンの提案との違いを理解しており、意見対立はない、と考えて断りました。
また、ウィリアムソンも出席していた会議で、アムスデン*4 はワシントン・コンセンサスが成長をもたらさなかった、と厳しく批判したそうです。
高成長を実現し、貧困を大幅に減らしたのは、ワシントン・コンセンサスを拒否した中国などの開発国家モデルでした。
バーグステンによれば、「ワシントン・コンセンサス」がこれほど有名になってから、ウィリアムソンは「全般的収斂」とすればよかった、と後悔したそうです。
そしてバーグステンは、あらゆるコンセンサスが破壊されてしまったこの時代に、ロンドン・コンセンサスが提起されたことを強く支持しました。
ワシントン・コンセンサスは、モーゼの十戒のように、新興市場の経済政策が注意すべきポイントを絞って示したものでした。
政策立案者にアピールするには簡潔さが必要でした。
しかしバーグステンは、市場自由化において、特に雇用の適応についての視点が欠けていた、と認めます。
ウィリアムソン自身、のちに経済成長と社会的目標を組み合わせた「ワシントン・コンセンサスⅡ」を唱えました*5。
ドルが支配する国際金融市場とつながる限り、新興市場にとっては、変動レートがトリレンマの解決策にならず、グローバリゼーションの受容と逆転のジレンマが続きます。
ロンドン・コンセンサスでは、資本規制が、必要なツール・ボックスに入っていなければなりません。
今や、福祉国家やコミュニティーを軽視する、変動レート制と自由な民間資本移動を前提した経済政策思想、グローバリゼーションの体制は、一定の見直しに取り組み始めています。
さまざまな社会的価値と政治=経済学、特に、雇用の問題と資本規制を重視すること。
その視点を欠いたことが、ポピュリズムの蔓延、リベラルな秩序が破壊される、「ブレグジット×トランプの時代」につながりました。
(注)
*1 John Williamson, Latin American Adjustment : How Much Has Happened? Institute for International Economics, 1990.
*2 Tim BesleyIrene BucelliAndrés Velasco(eds.) The London Consensus : Economic Principles for the 21st Century, 2025
https://press.lse.ac.uk/books/e/10.31389/lsepress.tlc?_gl=1*7qmxw7*_gcl_au*NTcxOTIwMzA1LjE3NzAzMzcyMTc.*_ga*Mjg0ODQ4Njk1LjE3NzAzMzcyMTc.*_ga_LWTEVFESYX*czE3NzE2MzA0NzgkbzQkZzAkdDE3NzE2MzA0ODAkajU4JGwwJGgw
*3 ジョセフ・E・スティグリッツ『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』、『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』
*4 アリス・H.アムスデン『帝国と経済発展 : 途上国世界の興亡』また、Alice H. Amsden, The rise of “the rest” : challenges to the west from late-industrializing economies, 2001.
*5 ジョン・ウィリアムソン『国際通貨制度の選択 : 東アジア通貨圏の可能性』