• 01/31/2026

静かな森と都市の明かり・・・ グローバルな政治経済秩序を考える

新しい平和と繁栄の条件。国境を超えて、市民にふさわしい秩序を築く。  グローバルな政治と経済のダイナミズム、国際政治経済学を学ぶ人のために。

花巻探訪(2)デクノボーの理想郷

Byonozn

5月 24, 2025 #地方

桜・地人館からバス停のある同人屋敷まで、みじかい散策路があります。
賢治の作品から言葉をえらんで、石に刻んだオブジェ、
ベンチ、童話の生き物などが点在する、畑の見える道です。

その先の整備された県道に出ると、交通量も多くなり、
暑さがこたえました。
バスも探したのですが、みつかりませんでした。

大きな交差点に出て、コンビニの店員にバスのことを尋ねましたが、わかりません。
結局、道路標識で気が変わって、羅須地人協会をあきらめ、そのまま宮沢賢治記念館の方に向かいました。
賢治が教え、歌い、劇を指導した建物!は、次回にしよう、と思いました。

徒歩で回るなら、バスの時間をよく調べて、それに合わせて行動を計画しておくことが重要です。
新花巻と旧花巻を往復することになって、体調を崩し、後悔しました。
いっそ、タクシーを探すべきでしたね。

遠いな、と思って登っていくと、森の先にようやく、イーハトーブ館が見えました。やれやれ、休憩です。
イーハトーブ館は入場無料。階段をおりる美しいアクセスと外観が気に入りました。
2階には宮沢賢治に関する図書や資料がある、と聞きました。

何か記念に、と思って、童話の絵葉書を2枚買いました。

そのあと、まだ閉館まで2時間ほどあるので、宮沢賢治記念館に入りました。
記念館は、道路の標識から、長い階段をいくつか登り、日時計のある花畑を経た、丘の頂上にあります。

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館内には詳しい年譜がありました。それに関連する資料が、壁や展示台に配置されています。
星の話や、生き物の話、地質学なども紹介されています。

それらは賢治が関心を持ったものです。
もっと本を読んでから来るべきだったな、と反省しました。
私は何も知らないままで、ただ、いくつかの作品を読んだだけです。
宮沢賢治の利他主義(?)、理想に惹かれて、東北の風土と人情に関心をもちました。

NHK教育「こころの時代」の再放送を観て(他の回はYouTube)、北川前肇氏の解説に感動しました。
賢治と法華経との深いつながりも知りました。作品世界と仏教とのかかわりを欠くことはできません。

しかし、私はどうしても思います。

いずれの信仰もそうですが、
記念館の宇宙の展示や童話は、宮沢賢治の夢・理想として、もっと深い説明がいるのではないでしょうか?
宗教や神があって、人が生まれるわけではなく、
人がその苦悩や想いを救済する姿として、信仰を得たのでしょう。

苦難をともに負う姿は、賢治自身の不幸、病気、死があったことにより
読む人の心を打つものになりました。

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

青空文庫

科学。芸術。宗教。
星や生物、自然界と相対性理論。
これらを学び、彼の心の中で一つのものになった。
正直、それはないだろう、と思いますが、
詩人の感性として、そうなのかもしれない。それはとても重要なことなのだ、と感じました。

記念館の奥には散策路があるのですが、あきらめることにしました。
《 警告! クマ出没中 》


2日目。
朝は部屋で日記を書いていました。
記念館など、すべて、8時半から開館するからです。

夜の間、咳が出たので睡眠不足でしたが、好天であるのはうれしかったです。
いつものようにコラムを集め、すこしぼんやりしていました。

8時になってフロントに挨拶し、宮沢賢治童話村に向かいました。
すでに歩いた道です。
途中、「銀河鉄道の夜」や、「やまなし」の二匹のカニを、こどもが描いた絵が、道標のように設置されています。

開館時間の少し前に着いた童話館は、ゲートで入場料が要らないことを知りました。だれもいません。
入ると、緑の広場はとっても広い。
園内を整備するスタッフが遠くにいるだけで、大きな樹々に囲まれた、風の舞台のようでした。

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「賢治の学校」と「賢治の教室」があります。
小さなこどもがいたら、いっしょに歩きたいです。
並んだ、丸太小屋風の「教室」をのぞくと、このあたりの植物、動物、童話に出てくる星、鳥の説明や展示がありました。
賢治が好きだったという「石の教室」を見落としてしまいました。

「学校」は、テーマパークの流行のデザインを踏襲した印象です。
風になって街や野原、山の上を飛ぶ、映像があって、こどもなら親が持ち上げて、飛びまわる感覚を楽しめたでしょう。
これはまさに、賢治だ、とおもいました。
ほかには「小径」「山野草園」もありますが、クマの懸念!で行く人はいないでしょう。

確かに、ここは雇用をもたらす観光資源です。
しかし、これが賢治のテーマパークでしょうか。

日照りや干ばつ、冷夏。
あるいは、震災。洪水。避難所。
人口の減少、老人たちが支えあう農村や山の暮らしを、子どもたちにもわかるように、親が説明する教室を建ててほしい、と思います。
巨大な防波堤によって海と隔てられた漁村の景色を、写真で展示してはどうでしょうか。

ヒ(デ)リノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

お昼の食事は考えていました。山猫軒です。
『注文の多い料理店』は、好きな話ではありません。しかし、記念館の横にある山猫軒に入りました。

メニューから、かつ丼を注文しました。
タケノコなどの入った炊き込みご飯に、卵でとじたトンカツがのってます。
おいしかったですね。

午後は、イーハトーブ館に行きました。

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新幹線の時間まで、2階の資料室で面白そうな本をメモしました。
歴史家・色川大吉、宗教学・山折哲雄、社会学者・見田宗介、吉本隆明、ほかの本が、多くの知らない人たちの本とともに、受け入れ時間順に並べてありました。
外の緑の見える、資料室の机と小窓が、わたしは気に入りました。

花巻に来る前、童話集のほかに、市民図書館で借りた本がありました。
評伝『宮沢賢治 すべてのさいはひをかけてねがふ』です。
著者の千葉一幹は宮沢賢治誕生のなぞを考えています。

宮沢賢治は、最初から聖人・宮沢賢治であったわけではない、と著者は考えます。

戦争や飢餓、宗教対立など、厳しい時代に
資産家の子弟や、都会で学んだ知識人が、貧しい農村に入り
改革をこころみたことは世界各地にあったと思います。

何が賢治の詩や童話を変えたのか?

それは「永訣の朝」が示すような、悲痛な祈り。
押し入れに頭を入れて慟哭した、というほどの苦しみ。
彼を導いてきた法華経と信仰に対する、危機が、はじめて宮沢賢治を生んだ、といいます。

今度生まれ変わることがあれば、こんなに自分のことばかりでくるしまないように生まれてくる。

千葉一幹『宮沢賢治』ミネルヴァ書房

死にゆく妹の願いにこたえて、外から持ってきた兄がさしだす雪を、彼女は口にした。
ああ、これが、天上のアイスクリームになって・・・ と賢治はつよく願います。

最愛の妹にして、最大の理解者であったトシの言葉を賢治はないがしろにできるはずもなかった。
24歳で死なねばならないトシの願いが、
もっと生きたいでも、健康に生きたかったでもなく、
自分のために苦しむのでない人生を歩みたかったという、
まさに自己犠牲的人生を望むものであったこと。
それは、賢治のこころを激しく打ったはずだ。

そして数年後、彼自身も病の中で、農村改革を果たせぬまま、若くして亡くなりました。

その後、賢治の詩や生き方が、ひとつの宗教性を帯びたのだ、と思います。
東北の農村、百姓、生き物、厳しい自然(社会)条件。
窮状に耐えて、それでも黙々とはたらく人々。それを詠う賢治の姿が、日本人の心を感動させるのです。(さらに国を越えてアジア、アフリカでも)

医師、教師、植物や肥料の知識を教える科学者、芸術家。
宮沢賢治の死は、その夢を多くの人々に託して、彼岸に去るとともに作品を通じて、降臨したわけです。


新花巻駅まで、時間はたっぷりありました。
もう4度目の路傍の樹々と花をながめ、写真を撮りました。

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宮沢賢治が65歳、90歳まで生きていたら、何をしたのかな。
1961年は高度成長期であり、1986年は円高不況、そしてバブル景気が続きました。
童話ではなく、もっと激しい文章を書いて、政治家になっていたかもしれない。
そんなことを想いました。

By onozn

大学で30年教えたあと、2025年春に定年退職しました。社会とのかかわりを模索中です。できることなら多くの街で仕事を経験したい。 「IPEの果樹園」を継続し、世界の政治経済に生じる変化を追いながら、本当に好ましい生活と社会の在り方を探そうと思います。

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